2010年6月22日火曜日

「ゴルフ夜明け前」:桂三枝

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● 昭和62年4月10日 第一刷


 この地には数多くのゴルフ場がある。
 ゴルフをしたいなと思ったら、近くのゴルフ場へいけばビジターでほとんどすぐにやらせてくれる。
 待っても1時間である。
 それにプレーの代金もすこぶる安い。
 とすれば、ここに住む大半の日本人がゴルフをやると思われるが、そうではないらしい。
 やらない人も結構多い。
 「やれないからやりたい」、
という気が起きるので、いつでもお手軽にできるとなると意欲がそがれるのかもしれない。
 なにしろ、半ズボンでスニーカーでやるのがここの流儀である。
 人をひきつけるのはなんといってもマリーンスポーツ。
 ゴルフはそれより少しランクが落ちる。
 マリーンスポーツというのは、何しろ金がかかる。
 ヨットの高尚さにはとてもゴルフは叶わない。
  
 私はゴルフをやらない。
 なのにどういうわけかゴルフ用具を2セットもっていた。
 日本に帰る人が置いていったものである。
 スペースをとり、動かすのに面倒なので古いほうを捨てた。
 といってもあの長い鉄の棒のこと、そのままゴミバコに入れるわけにもいかず、電気グラインダーで半分に切って捨てた。
 残る1セットはガレージに置いてあるが、これが超じゃまくさい。
 なにしろ重い。
 ゴロゴロして自立しない。 
 持ち運びに面倒なのである。

 昔のこと、OSがまだMS-DOSであったころ、
 「はるかなるオーガスタ
というパソコンのゴルフゲームがあった。
 コピーでもらってやっていた。
 そのころのゲームなのでタカが知れている。
 たとえば、マージャンゲームもあったが、最初のうちは負けていたがそのうち圧倒的に私の勝ちになってしまった。
 組み込まれているソフトの動きがわかってしまったからである。
 いまではとても勝てないだろう。
 なにしろメモリーの飛躍的向上から、実に複雑な先読みができるようになっているはずだからである。
 ゴルフも同じであった。


 今日、インターネット・ニュースを見ていたら、桂三枝のニュースが出ていた。

スポーチ報知 2010年6月22日10時28分
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/gossip/entertainment/news/20100622-OHO1T00124.htm



 桂三枝が上方落語協会会長に再選「70歳まで頑張る」
 70歳までの会長職に意欲を見せた桂三枝

 上方落語協会は21日、任期満了に伴う会長選挙を行い、現会長の桂三枝(66)が再選された。
 任期は22日から2年間。
 2003年7月の就任から通算5期目で、2004年に協会が社団法人認定を受けてからは4期目となる。

 会長として天満天神繁昌亭の隆盛を築いた三枝だが、まだまだ精力的。
 事務所やけいこ場を備えた「上方落語協会会館」の設立を目指すほか「新たに40歳以下の落語家で若手執行部をつくりたい」とも話した。
 副会長職は笑福亭鶴瓶(58)に続投を要請する予定だ。

 上方落語協会には220人の落語家が所属。三枝は有効投票総数186票のうち135票を獲得し、これまでの会長選で最大の得票率(約73%)だった。
 「あと2期、70歳まで頑張って後進に譲りたい」と、2年後の再選にも意欲を見せた。


 三枝が落語家であることはもちろん知っている。
 彼の落語もよくテレビで見たものである。
 が、どうも私のイメージにある三枝はお笑いタレントなのである。
 「新婚さんいらっしゃーい
という番組の司会者であり、その後に「こんなことしてちゃアカン」と悟り、身を入れて落語をやり始めたといったイメージなのである。


(註:新婚さんいらっしゃい)
 新婚夫妻を視聴者から募集し、毎週2組の結婚生活、婚約までのエピソード等を聞く。
 司会の桂三枝は第1回の放送から現在まで司会を担当しており、2010年6月時点で実に39年に渡り司会を続けている。
 これは日本のテレビにおけるバラエティ番組史上の最長の司会記録である


 その三枝が落語協会の会長になって、6年もその椅子を暖めているという。
 そして、まだまだ「若いもんには席は譲れん」といって頑張っている。
 七十まで10年やるつもりらしい。


 先日、古本屋で買ったのが上の桂三枝の『ゴルフ夜明け前』である。
 私はゴルフはしないのでゴルフというタイトルの入った本は買わないことにしている。
 が、これには手が動いた。
 桂三枝が小説を書いている、という不思議に思わずちょっと迷ったためである。
 読んでいて、この
『ゴルフ夜明け前』という標語は、三枝の人生を変えるほど大きいものであることを知った。
 この
『ゴルフ夜明け前』というのは三枝の「創作落語」の題名である。
 これが「1983年文化庁芸術祭大賞」を受賞したのである。
 このことによって三枝はお笑いタレントから、真の落語家になったといってもいい。

 この落語、ニコニコ動画にありますので聞くことができます。

落語 桂三枝 ゴルフ夜明け前
http://de.nicovideo.jp/watch/sm8412167


 またCDにもなっています。

桂三枝大全集~創作落語125撰~第1集「ゴルフ夜明け前」「ロボ・G」
# CD (2001/10/30)
# ディスク枚数: 1
# キングレコード



 この落語をベースにして書かれたのが
 小説『ゴルフ夜明け前』
である。
 この「あとがき」に作品が生まれた経緯が書かれている。

 わたしが『ゴルフ夜明け前』のストーリーを思いつくきっかけは、今から8年ほど前、TVの録画撮りのために長崎に行ったおり、出島の資料館にフラリと立ち寄ったのですが、そのとき、ガラスケースに収まっているゴルフのクラブとボールを見たことからでした。
 「コルフ」と書かれていたのになぜか興味引かれたのです。

 その後、創作落語活動を始めた時、なんとかゴルフをネタにやってみようと思いつき、資料館に問い合わせたところ、出島のオランダ屋敷から出てきたものだが誰がどのように使っていたのかはわからないということでした。
 いつ日本に入ってきたのか分からないけれど、明治になる前に日本に入っていたのは事実だからと思って、坂本龍馬と近藤勇のゴルフの場面を中心に落語を作りました。
 そしてそれを、東京の紀伊国屋ホールで芸術祭参加の形で演じる機会を得、またそれがどういうはずみか、「昭和58年度芸術祭大賞」に選ばれました。
 そして、何度か高座で落語を演じるうちに、もっと龍馬と近藤勇を知りたいと思うようになりました。
 そのぐらい、私の中で愛すべき落語の登場人物になっていたのです。

 そのうちに、落語では時間的な制限があって長くはできませんので、なんとかストーリーを膨らませるには小説にするしかないと思い至ったのです。
 ところが、なにせ初めて書く小説なので、どこから手をつけていいのか分からず困っておりました。
 時間はどんどん経っていくし、そのうち小説のことも忘れてしまっていたのですが、NHKの長崎支局の方から対談の仕事を頂きました。
 対談のお相手は、ある女子大の先生だったのですが、前に出島の資料館の館長を努めたこともあるとのことで、喜んで仕事を引き受けたのです。
 そこで意外な話を聞きました。
 
 例のゴルフのボールとクラブは、オランダ大使館から贈られたもので、どうやら昔の物には違いないのですが、ゴルフのクラブとボールではなく、船に使う道具だったようなのです。
 
 それを」聞いてがっかりしたのですが、反対にファイトが湧き、私を呼んで下さったNHKの山登デイレクターに話をすると、長崎県の資料館に当時の資料があるかもしれないと、わざわざあくる日朝から付き合っていただいたのです。
 村上直次郎訳の商館日記は資料が膨大で、訳の途中で亡くなられたから、ひょっとしたらないかもしれないということでしたが、イギリスですでに流行していたゴルフが日本に入っていないことはない。
 全部訳されてないとはいえ、すごい量の商館日記に目を通す作業は大変だったのですが、幸いにも見つけることができました。 
 

 山登さんの協力を得て、小説にする勇気が湧いたのです。
 仕事の合間を見て書き出したのですが、高知弁と和歌山弁については、弟子の三造と三歩がちょうど高知と和歌山の出身でしたので、なんとか雰囲気は出せたと思います。
 それに、小説の中で創りだした島岡伸吉は島田伸助をモデルにしましたし、杉本嘉助は明石家さんまをモデルにといったあんばいで、おかげでイメージをつくりやすい人たちがそばにたくさん居てくれたので助かりました。

 昭和62年春 桂 三枝

 
 そして日の目をみることになったのがこの小説。
 発行日は「昭和62年4月10日」


 
 そしてこの年の12月には、小説をベースに映画が作られる。
 予告編のビデオをさがしましたが、ちょっと見当たりません。
 バッケージの表紙から。








 ところで、このサイトに桂三枝著の小説『ゴルフ夜明け前』を載せたのは、別に三枝が落語協会の会長に五選されたのをお祝いしたいからではない。
 なにしろ二十数年も昔の本。
 amozon.comで探すと「¥1、送料¥340」というのが数冊出てくる本である。

 実はこの本の裏表紙に三枝のサインがあるのである。
 サイン本は古本屋でときどき見かける。
 私自身も2,3冊のサイン入りの本を持っている。
 私自身がサイン会場にいってもらったわけではなく、偶然に親戚等から回ってきたものである。
 問題なのはただ三枝のサインのみがあるわけではないということである。

 


 おそらく想像では、昭和の末年の頃、三枝はこの地にやってきてゴルフをした。
 そこでお世話になった人、あるいは一緒にプレイをした人がいる。
 その人に贈呈したのが、自作の小説。
 サインをつけて。
 三枝がこの地でゴルフをしていた頃、私は日本で往年の名機、NEC-PC9801で「はるかなるオーガスタ」でゴルフゲームにうつつを抜かしていた。
 なんともこの差の大きいこと。

 そしてその方、諸般の事情で日本に戻ることになったのかもしれない。
 家を処分し、車を売り、そして家具・什器・小物、書籍などを売り払った。
 其の中に、この小説があった。
 手にした感じでは少々弱っていた。
 多くの人の手を渡ってきたのであろう。
 ということは、多くの人がこの本を手にして、そして戻すという作業を繰り返してきたのだろう。
 今は、偶然にも私の手元にある。
 このサインをみたとき、なんとなくほほえましくなった。
 今から二十数年も昔に、三枝がやってきてこの地でゴルフをした。
 その証ともいえる彼が日本からもってきた本は、長い間本棚にしまいこまれたていた。
 が、ようよう出されて、ここに住む人たちの手の中を回っているのである。
 ほこりをかぶった本には価値はない。
 人の手を経ることによって、輝きだす。
 いまこの本は輝いているということだろう。
 三枝の口ぞえを得て。

 最後に三枝の若き日の映像。



 本の裏にあった三枝の紹介からです。
 五選された写真と見比べてください。
 キリリと目元が渋くいい男です。
 



[◇]
 「はるかなるオーガスタ」を調べてみました。
 Wikipediaより。

 『遙かなるオーガスタ』(はるかなる - )は、T&Eソフトから発売された3Dゴルフシミュレーションゲームシリーズ。

 実在するオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを独自の3D描画技術「POLYSYS」(ポリシス)によってコンピュータ上に再現し、従来の2D、あるいは疑似3Dのゴルフゲームとは一線を画したリアルなゴルフシミュレーションゲームとして人気を博した。

 そのルーツはFM-7やPC-8801といった8ビットパソコンで発売されていた「3-Dゴルフシミュレーション」(1983年)に求められる。
 1989年、2Dと3Dポリゴンを融合したリアリティのあるフィールドを高速描画するシステムを「POLYSYS」と名付け、その技術を用いた第一弾として、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブとライセンス契約を結んで開発された「NEW 3D GOLF SIMULATION1 遙かなるオーガスタ」(対応機種:PC-9801)がリリースされ、当時としては唯一といってよい、起伏の再現されたリアルなコースが高い人気を得た。


 このソフト、もうありません。
 なにしろ、NEC-PC9801がこの世から消えてしまいましたから。
 ついでにフロッピーデイスクなるメモリ媒体も。

 「昔は遠くなりにけり

 そんな中で昔の肉筆に出会うと笑みがこぼれるのは私だけでしょうか。






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● 花いろいろ