_
_
いろいろ忙しいので、一日一区間で箱根駅伝をみている。
今日はその3区を見た。
ここに「今昔物語」というのが挟まっており、これが少々驚き。
というのは前稿で、藤田、佐藤、今井、柏原と福島出身だが、なにかあるのであろうかと書いたばかりだが、あたかもその問に答えるようなエピソードが出てきたのである。
この疑問はマスコミ自身ももっていたようで、ちゃんと調べてくれていた。
この今昔物語のシメに出てくるシーンには、なんとなんとこの4選手の映像がぴったりあるのである。
つまり、「なぜ、福島が?」
そういう疑問を解明しました、という形で終わっているわけである。
金栗四三が箱根駅伝を創設したとき、その第一回レースの山上り5区を走った早稲田のランナーがいた。
三浦弥平、福島県出身。
このとき区間3位(といっても参加は5校、よって速くもなく遅くもなかった)。 オリンピックへ出場する、アントワープ・オリンピック。 そしてドイツに8年間留学。 帰国して早稲田でのコーチを求められたが、それを断り福島に帰り、スポーツ施設をそろえたオリンピック村を創設する。
1971年永眠。
この人物を記念して、福島には「三浦弥平ロードレース大会」というものがある。
この小学生の部で優勝したのが、今井正人というわけである。 「なるほど、それで福島というわけか」
福島というのは隠れたスポーツ大国だったのです。
Wikipediaで見てみる。
『
三浦弥平
家は大きな農家の出だったものの幼いころから病弱だったために小学校時代は病欠で留年の経験もある。
白石中学校(現宮城県白石高等学校)進学後も、病欠しながらもランニングにより体を鍛え、秋の運動会には1000mで優勝を果たし陸上の道を志す。
早稲田大学進学後は、競走部に所属し関東学生大会や日本選手権大会など数々の大会で優勝を飾ったほか、第1回の箱根駅伝にも出場した。
1920年にはアントワープオリンピックのマラソン日本代表に選ばれ24位になっている。
その後ドイツへと留学しベルリン大学や、ドイツ体育大学にて体育学を学んだ。
ドイツ留学中の1924年パリオリンピックでも代表に選ばれたが10000m、マラソン共に棄権となっている。
帰国後の1932年には宮城県伊具郡筆甫村(現丸森町)オリンピック村を建設し、スポーツの普及に尽力した。
1980年からは伊達市内にて毎年彼の業績を記念した、三浦弥平杯伊達市梁川ロードレース大会が開催されている。』
写真を。
『
うつくしま電子事典
【梁川町】 三浦弥平(みうらやへい)
http://www.shidou.fks.ed.jp/jiten/cgi-bin/jnbt.cgi?cd1=%CE%C2%C0%EE%C4%AE&cd2=%BB%B0%B1%BA%CC%EF%CA%BF&id=view
一番左が三浦弥平氏
』
さて、昨年4月に東洋大学の監督に就任した酒井俊幸は福島県の高校の先生であり、この県大会で見い出したのがまだ無名の柏原竜二。
そこで早速、出身校である東洋大学への進学を勧めたという。
ところで、この酒井であるが、テレビ(といっても、ビデオだが)で見たことがある。
もちろん、箱根駅伝の「東洋大学エースランナー」として、と書きたいのだがそう書けないところにストーリーがある。
箱根駅伝の前日の元旦には実業団駅伝が行われる。
上州赤城降ろしの乾燥しきった空っ風の中を走る駅伝である。
昔のこと、ここに一人のハンサムボーイが出現した。
それが酒井俊幸。
驚いたことに東洋大学出身という。
実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)を走るランナーに東洋大学出身者がいたとは思わなかった。
もちろんいてもいいのだが、所属している実業団があのコニカである。
ここは強豪である。
なにしろその頃の優勝チームでもあった。
コニカとはオリンピックで銅・銀を獲り、3回目には8位に入っている片言の日本語をあやつるワイナイナがいたチームである。
オリンピック史上3回マラソンに出場し、3回とも入賞という記録をもつランナーはワイナイナしかいない。
東洋大学というのは「史上最も遅い大学」といわれるほどに優勝と縁のないチーム。
優勝したのは昨年、出場67回目にしてヤットコサのこと。
3位内に入賞したのが50年前にたった1度だけあるというとんでもない記録を持ったチーム。
いいかえれば、「万年下位チーム」という名はこの大学のためにあったようなもの。
よって、東洋大学出身の実業団ランナーなんてものはありえようがなかったし、聞いたこともなかった。
それが強豪コニカ(そのころはコニカといっていた)にいて、元旦の駅伝を走っていたのである。
なら箱根での輝かしい記録を引っさげてコニカに入ったかというと、これがひどい。
新聞にみるように、11位、13位、12位、欠場。
コニカのランナーといえばテレビのアナウンサーもちゃんと紹介してくれる。
このダメランナーがなんと優勝チームのコニカでお正月のテレビに映っていたのである。
まあ、よく名門コニカに入れたものだとテレビを見ながら呆れていた。
いったいどうなっている。
が、この彼氏、テレビ映りのいいハンサムボーイであった。
もし記憶に間違いなければ、次の年にも走っており、このときは鼻血を出していた。
なんともやきもきさせるランナーであった。
ちょっとそれるが、箱根駅伝でハンサムボーイといえば、山梨学院の尾方剛。
優勝したとき大手町のゴールテープを切ったランナー。
このとき解説の横溝さんが「アイドルみたい」と表現した選手である。
が、尾方はこの重圧で脱毛症にかかり、アイドルの姿は見る影もなかった。
よって、箱根駅伝はこの1回の出場のみであった。
が不屈の尾方。
その後中国電力に入り、世界陸上へとコマを進めている。
中国電力には三羽カラスがいた。
油谷繁、尾方、そして佐藤敦之である。
この油谷だがゴールドコーストマラソンのハーフで優勝(2002)している。
このときの表彰式を見たことがある。
テレビでみる油谷はなんとなくごついが、目の前でみる油谷はじつに好青年であった。
ニコニコしていて柔らかな味があって、横にいた娘いわく、
「カワイイー」。
コニカが優勝するちょっと前までは常勝軍団旭化成と、それを追うS&Bの熾烈な争いがあった。
後半のエース区間では旭化成の川島伸次とS&Bの花田勝彦のレースが印象に残っている。
走り終わったあと川島が、
「猛獣に追われる小動物のように怖くて後ろを振り向けなかった」
とインタビューに答えていた。
川島はその後、サブテンランナーとなりシドニーオリンピックのマラソンを走っている。
ちなみに彼は1991年のゴールドコーストマラソンの優勝者でもある。
新興大学は別にして、大学チームの監督やコーチはその大学の出身者がなるものである。
東洋大学は古い大学なので箱根駅伝参加者も多く、人材にこと欠かない。
が、どうしても誰がやっても、「万年下位チーム」という名誉から逃れられない。
なにしろ、名のあるランナーがいない。
簡単にいうと名のあるランナーとはだいたいにおいてしっかりとしたトレーニングを実業団で積み、独自のランニング哲学を持っているランナーといっていい。
東洋大学にはその実業団で鍛えられるほどまで成長したランナーがいないのである(いるのかもしれないが、聞こえてこない)。
ために体系的にランニングを教え込める監督コーチがいないのである。
それがゆえの「万年下位チーム」である。
このビッチリと骨の髄まで染み込んだ汚名を返上するためにはどうしたらいいか。
もう内部の手にはおえない。
そこまできていたのである。
結果として、ドラマチックなことをやった。
外様を入れたのである。
しかたなく、という面もあったが。
白羽の矢がたったのが川島伸次。
彼は日体大の出身である。
旭化成で培ったトレーニング方法、ランニングの考え方、そしてサブテンランナーとしてオリンピックへいった自信、それらに東洋大学の夢が託されたのである。
大学には1年生から4年生までいる。
よって、改革の花が咲くには数年の月日が必要である。
意識が浸透し、いよいよこれからというとき、不祥事がおこる。
ここで川島はスッパリと監督を辞任する。
内部出身なら不祥事もとりたてて大きな問題にはならない。
が、外様ではそうもいかない。
あくまでもいっときのお客様。
いわゆるお雇い教師みたいなもの。
引き際を心得ておかないと、古き伝統校では身の置き場がなくなる。
練習の方法から日ごろの心構えまで、走る者にとって必要なもの教え込むものは、すべて教え込んだ。
あとはそれがルーチンワークとして受け継がれていけばいいはずだ。
川島はそう考えた、と思う。
さて後任だが、グルリと見渡して、自分の知っている顔で、東洋大学出身者にして実業団のメシを食えたランナーはたった一人しかいない。
酒井俊幸のみ。
川島はためらわずに酒井を後任に指名する。
そして東洋大学は、去年につづいて二連覇を達成する。
「万年ダメチーム」が華麗に「駅伝強豪チーム」に変身を遂げたのである。
てなところが、東洋大学物語になるだろうか。
さて、ビデオを見終わっての感想を。
前半はなんといっても明治大学ですね。
1区から4区までトップを独走する。
古豪ではあるが、最近復活してきた大学。
よって、箱根駅伝にはあまりなじみのない大学。
その古豪が眠りからさめ、いよいよ動きはじめたか、といったところ。
平らな地面の走りは習得した。
これから次のステップである箱根の山の制圧にとりかかれば話はグーンと面白くなる。
なにしろ第一回からの出場校であり優勝は7回とあるからキャリアは十分。
後半は職人芸、王者駒澤大学。
総合優勝はさらわれたが、ちゃんと「復路優勝」の名誉を刻んでいる。
層の厚さは抜群。
でも駒沢もしばらく前までは、シード権をとれるかどうかで一喜一憂していた東洋と似たり寄ったりのチームであった。
そこに現れたのが藤田敦史。
ここから大八木コーチを軸に駒澤大学の進撃が開始される。
でも藤田はその4年間のなかで「優勝」の文字を見ることはなかった。
もう一校を。
青山学院大学。
昨年33年ぶりに復活出場した大学。
青山学院といえば立教大学とならんで、ミッション系のお坊ちゃま、お嬢さま学校の雄。
駆けっこなんて泥臭いことは似合いそうもない大学。
ビリッケツでゴールした昨年とはうって変わって復活2年目の今年、なんとあっさりとシード権を獲ってしまった。
底知れぬおそろしさ。
ちなみにもう一つのお坊ちゃま大学である立教はここ40年ほど出場していない。
箱根駅伝参加回数は青山学院15回に対して立教は27回と倍近く多いのだが。
復活はなるだろうか。
箱根駅伝はいつ観ても楽しいです。
そして最後に一言、「5区変更絶対反対」。
この5区が「明日の箱根をつくる」。
「5区こそ希望の星」。
三言になってしまった。
● 花いろいろ
2010年1月11日月曜日
2010年1月8日金曜日
「箱根駅伝」が来る (一)
_
七草を終えるとお正月も終わる。
ポストに入っていたのは例の小包が届いていますよのお知らせ。 1月4日に発送して、7日についている。
4日間でついている。
書類関係は検閲がないから早い。
8日の今日、先ほどもらいにいった。
待望の箱根駅伝DVD。
送ってくれたのは、大学の同級生。
といっても還暦を過ぎているが。
マラソンと駅伝が大好き人間。
こちらに2年ほど滞在したときは、滞在先の地元マラソンに出場している。
もちろんサブフォー。
近年は、長い距離はダメだと同好者数人で駅伝をやっている。
が、これがナミじゃない。
東京-京都間というとんでもないこと。
最初は「東海道駅伝」。
2度目は戻りで、京都-東京間の「中仙道駅伝」。
2つあわせてトータルだ1,000キロを超えるだろう。
もちろん一気に走れるわけではない。
会社の休みを土日にからませて、十回ほどで走るのである。
そしてこれはすでに完走した。
次は何処を?
昨年末にもらった稿頭の雑誌に挟まっていた手紙だと、
「日光街道駅伝 140キロ 1泊2日」。
やることが、一桁違う。
とてもついていけない。
私のようにビデオを見ているだけでは、いけないのである!
「老いてますます----」
いや、私は隠居モードでいきます。
さて、箱根駅伝だが、結果はもうインターネットで知っています。
昨年同様、柏原君の見事な走りで、東洋大学が2年連続往路復路の完全優勝。
いや、おめでとうございます。
やりますね、柏原君。
日本陸上界が待ちに待った大物ランナー。
いよいよ出現しました。
がである。
何かと、いちゃもんをつけたがる了見の狭い嫌なヤツもいる。
『
日刊スポーツ
柏原快走で5区再短縮も/箱根駅伝
http://www.nikkansports.com/sports/hakone-ekiden/2010/news/p-sp-tp0-20100104-582370.html
---------------------------------------------------------------------------------------------
<第86回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・9キロ)
箱根駅伝名物・山登りの5区が、短縮される可能性が出てきた。
06年に2・5キロ延びて10区間中最長の23・4キロとなってから比重が増し、選手の負担も増大したとして、3日の大会終了後、各大学の監督から見直しを求める声が続出、今月の監督会議で検討される可能性が高まった。
東洋大の柏原竜二(2年)が圧倒的な強さで逆転し、2年連続優勝の原動力になるなど、同区の大逆転が5年連続も続いたことも引き金になった。
今大会は往路を制した東洋大が、復路で1度もトップを譲らず、2年連続2度目の総合優勝。
往路8位の駒大が復路を制し2位に入った。
柏原が衝撃的な走りを見せた箱根の5区は、コース変更を求める声が出るほどの事態に発展した。
山梨学院大の上田監督 柏原くんがいるから変更するというのは、反対です。
選手を育てていく上で、学生の負担は大きい。
箱根駅伝を発展させるためには、(以前の距離に)戻した方がいいかもしれません。
コースが変わったのは、06年から。
往路で4区と5区を結ぶ小田原中継所を東京寄りに移動し、4区はこれまでの21キロが18・5キロ、5区は20・9キロが23・4キロになった。
従来の中継所が1車線のため、交通の混雑緩和を図り、4区を短縮してトラック専門の中長距離選手に箱根駅伝出場の機会を広げ、5区を延長することでマラソン選手の育成を図るのが狙いだった。
このため5区の重要度が増し、選手の実力差が明確に結果に表れるようになった。
山登りに強い選手がいるチームが勝ち、いなければ負ける展開が増えた。
東海大の新居監督 5区は育てるのでなく(適性を持った選手との)出会い。
誰もが感じる課題の1つではないか。
世界に通じる選手を育てるためというが、基本的には5000、1万メートルを走れれば問題ない。
今は、往路優勝も総合優勝もシード権争いも、全部が5区にかかってきている。
上武大の花田監督 元の距離に戻した方がいいと思う。
柏原くんにもぜひ、2区で区間新を出してほしい。
柏原くんが勝ったから言うのではないが、見直しの時期に来ているのではないか。
私も2区でステップアップして、世界選手権につながった。
東洋大の佐藤コーチは、これらの意見について
「それは間違い。
学生の長距離を鍛える趣旨で始めたのに、それはおかしい」
と主張する。
柏原も
「じゃあなんで(距離を)延ばしたんでしょうか。(佐藤コーチと)同意見です」
と話した。
大会を主催する関東学連の青葉会長は
「今のところ、変えるつもりはない。
10区間あるのに、1区間で大逆転は、箱根駅伝としてはさみしい。
そういう話題も出てくるだろうと思う。
でも、柏原くんが強いからといって変えたら、差別になっちゃう」
と言った。
神奈川大監督で、同連盟の大後駅伝対策委員長は
「(1月の)監督会議で議題に挙がれば、検討しなくてはいけない。
来年から変わるということはない。
大学生に負担が掛かるという意見があるのは事実です」
と話した。
今後、議論の対象になる可能性は高まった。
[2010年1月4日10時34分 紙面から]
』
素晴らしい選手を生み出した、この5区。
「今井先輩ができるなら、オレだって」
それが柏原だろう。 なぜ、この大物ランナーの登場を素直に喜んであげないのか。
彼の出現が、次の人材発掘になるはずである。
皇帝ゲブレシェラシエはマラソンを「2時間03分台」で走っている。
日本国内レースで2時間06分台で走ったのは藤田敦史、たった一人しかいない。
それも2000年の記録だ。
この10年、書き換えられていない。
この差はなんだ。
山の神様今井正人を生み、そしていままた超大物柏原竜二を生み出した。
実に素晴らしい5区ではないか。
明日のランナーを生み出す5区ではないか。
なんで、ケチをつける。
この5区は大成功ではないのか。
なにもネタムことはないだろう。
2区あたりをチマチマ走る小粒のランナーより、山をグイグイと登っていくランナーこそが、待ち焦がれた選手ではないのか。
学連は「モグラたたき」などやるな。
なぜ、大物を育てるためのフォローをしてやらない。
柏原は日本人だ。
なら「柏原ができるならオレって」だろう。
それが明日に繋がるのではないか。
それとも「大物新人イジメ」が好きなのか、学連というところは。
「イジメ」は学連のサガか。
「イジメなどやるな!」
「2区でステップアップして」とは。
何か間違っていないだろうか。
箱根の一区間の平均は20キロ少々、ほぼハーフマラソンと同じ。
とすればステップアップの対象はマラソンしかない。
オリンピックでマラソンに入賞した油谷は2区など走っていない。
彼は高卒だ。
日本の最高記録を持っているのは高岡寿成だ。
彼も2区など走っていない。
関西の大学だ。
「気骨のある選手は、積極的に5区にチャレンジしてステップアップして欲しい」
の間違いではないのか。
5区をきっちり走れなければ、世界になどステップアップできませんよ、の間違いだろう。
スピードだけでなく、最後はパワーなのです、だろう。
「柏原くん、がんばって!」
「中年ボケの学連ジイさんの偏屈なイジメに負けないで!」
まあ、「ご老人」は黙っていないといけないのだが、こういうエセ的ニュースを聞くと腹が立ってついつい興奮して「王様の耳はロバの耳」とやってしまう。
まだ、修行が足らんのだろう。
「隠居モード」は難しい。
往復、10時間の駅伝。
楽しませてもらいます。
< (二)へ >
● 花いろいろ
◇].
ちなみに藤田敦史、佐藤敦之(マラソン国内記録2位)、今井正人、それに柏原竜二と福島出身ということは何かあるのだろうか。 藤田敦史:瀬古俊彦のもつ学生記録を20年ぶりに塗り替えたランナー
佐藤敦之:学生で2時間10分を初めて切ったランナー(現在記録:藤原正和:2時間08分12秒:2003)
七草を終えるとお正月も終わる。
ポストに入っていたのは例の小包が届いていますよのお知らせ。 1月4日に発送して、7日についている。
4日間でついている。
書類関係は検閲がないから早い。
8日の今日、先ほどもらいにいった。
待望の箱根駅伝DVD。
送ってくれたのは、大学の同級生。
といっても還暦を過ぎているが。
マラソンと駅伝が大好き人間。
こちらに2年ほど滞在したときは、滞在先の地元マラソンに出場している。
もちろんサブフォー。
近年は、長い距離はダメだと同好者数人で駅伝をやっている。
が、これがナミじゃない。
東京-京都間というとんでもないこと。
最初は「東海道駅伝」。
2度目は戻りで、京都-東京間の「中仙道駅伝」。
2つあわせてトータルだ1,000キロを超えるだろう。
もちろん一気に走れるわけではない。
会社の休みを土日にからませて、十回ほどで走るのである。
そしてこれはすでに完走した。
次は何処を?
昨年末にもらった稿頭の雑誌に挟まっていた手紙だと、
「日光街道駅伝 140キロ 1泊2日」。
やることが、一桁違う。
とてもついていけない。
私のようにビデオを見ているだけでは、いけないのである!
「老いてますます----」
いや、私は隠居モードでいきます。
さて、箱根駅伝だが、結果はもうインターネットで知っています。
昨年同様、柏原君の見事な走りで、東洋大学が2年連続往路復路の完全優勝。
いや、おめでとうございます。
やりますね、柏原君。
日本陸上界が待ちに待った大物ランナー。
いよいよ出現しました。
がである。
何かと、いちゃもんをつけたがる了見の狭い嫌なヤツもいる。
『
日刊スポーツ
柏原快走で5区再短縮も/箱根駅伝
http://www.nikkansports.com/sports/hakone-ekiden/2010/news/p-sp-tp0-20100104-582370.html
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<第86回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・9キロ)
箱根駅伝名物・山登りの5区が、短縮される可能性が出てきた。
06年に2・5キロ延びて10区間中最長の23・4キロとなってから比重が増し、選手の負担も増大したとして、3日の大会終了後、各大学の監督から見直しを求める声が続出、今月の監督会議で検討される可能性が高まった。
東洋大の柏原竜二(2年)が圧倒的な強さで逆転し、2年連続優勝の原動力になるなど、同区の大逆転が5年連続も続いたことも引き金になった。
今大会は往路を制した東洋大が、復路で1度もトップを譲らず、2年連続2度目の総合優勝。
往路8位の駒大が復路を制し2位に入った。
柏原が衝撃的な走りを見せた箱根の5区は、コース変更を求める声が出るほどの事態に発展した。
山梨学院大の上田監督 柏原くんがいるから変更するというのは、反対です。
選手を育てていく上で、学生の負担は大きい。
箱根駅伝を発展させるためには、(以前の距離に)戻した方がいいかもしれません。
コースが変わったのは、06年から。
往路で4区と5区を結ぶ小田原中継所を東京寄りに移動し、4区はこれまでの21キロが18・5キロ、5区は20・9キロが23・4キロになった。
従来の中継所が1車線のため、交通の混雑緩和を図り、4区を短縮してトラック専門の中長距離選手に箱根駅伝出場の機会を広げ、5区を延長することでマラソン選手の育成を図るのが狙いだった。
このため5区の重要度が増し、選手の実力差が明確に結果に表れるようになった。
山登りに強い選手がいるチームが勝ち、いなければ負ける展開が増えた。
東海大の新居監督 5区は育てるのでなく(適性を持った選手との)出会い。
誰もが感じる課題の1つではないか。
世界に通じる選手を育てるためというが、基本的には5000、1万メートルを走れれば問題ない。
今は、往路優勝も総合優勝もシード権争いも、全部が5区にかかってきている。
上武大の花田監督 元の距離に戻した方がいいと思う。
柏原くんにもぜひ、2区で区間新を出してほしい。
柏原くんが勝ったから言うのではないが、見直しの時期に来ているのではないか。
私も2区でステップアップして、世界選手権につながった。
東洋大の佐藤コーチは、これらの意見について
「それは間違い。
学生の長距離を鍛える趣旨で始めたのに、それはおかしい」
と主張する。
柏原も
「じゃあなんで(距離を)延ばしたんでしょうか。(佐藤コーチと)同意見です」
と話した。
大会を主催する関東学連の青葉会長は
「今のところ、変えるつもりはない。
10区間あるのに、1区間で大逆転は、箱根駅伝としてはさみしい。
そういう話題も出てくるだろうと思う。
でも、柏原くんが強いからといって変えたら、差別になっちゃう」
と言った。
神奈川大監督で、同連盟の大後駅伝対策委員長は
「(1月の)監督会議で議題に挙がれば、検討しなくてはいけない。
来年から変わるということはない。
大学生に負担が掛かるという意見があるのは事実です」
と話した。
今後、議論の対象になる可能性は高まった。
[2010年1月4日10時34分 紙面から]
』
素晴らしい選手を生み出した、この5区。
「今井先輩ができるなら、オレだって」
それが柏原だろう。 なぜ、この大物ランナーの登場を素直に喜んであげないのか。
彼の出現が、次の人材発掘になるはずである。
皇帝ゲブレシェラシエはマラソンを「2時間03分台」で走っている。
日本国内レースで2時間06分台で走ったのは藤田敦史、たった一人しかいない。
それも2000年の記録だ。
この10年、書き換えられていない。
この差はなんだ。
山の神様今井正人を生み、そしていままた超大物柏原竜二を生み出した。
実に素晴らしい5区ではないか。
明日のランナーを生み出す5区ではないか。
なんで、ケチをつける。
この5区は大成功ではないのか。
なにもネタムことはないだろう。
2区あたりをチマチマ走る小粒のランナーより、山をグイグイと登っていくランナーこそが、待ち焦がれた選手ではないのか。
学連は「モグラたたき」などやるな。
なぜ、大物を育てるためのフォローをしてやらない。
柏原は日本人だ。
なら「柏原ができるならオレって」だろう。
それが明日に繋がるのではないか。
それとも「大物新人イジメ」が好きなのか、学連というところは。
「イジメ」は学連のサガか。
「イジメなどやるな!」
「2区でステップアップして」とは。
何か間違っていないだろうか。
箱根の一区間の平均は20キロ少々、ほぼハーフマラソンと同じ。
とすればステップアップの対象はマラソンしかない。
オリンピックでマラソンに入賞した油谷は2区など走っていない。
彼は高卒だ。
日本の最高記録を持っているのは高岡寿成だ。
彼も2区など走っていない。
関西の大学だ。
「気骨のある選手は、積極的に5区にチャレンジしてステップアップして欲しい」
の間違いではないのか。
5区をきっちり走れなければ、世界になどステップアップできませんよ、の間違いだろう。
スピードだけでなく、最後はパワーなのです、だろう。
「柏原くん、がんばって!」
「中年ボケの学連ジイさんの偏屈なイジメに負けないで!」
まあ、「ご老人」は黙っていないといけないのだが、こういうエセ的ニュースを聞くと腹が立ってついつい興奮して「王様の耳はロバの耳」とやってしまう。
まだ、修行が足らんのだろう。
「隠居モード」は難しい。
往復、10時間の駅伝。
楽しませてもらいます。
< (二)へ >
● 花いろいろ
◇].
ちなみに藤田敦史、佐藤敦之(マラソン国内記録2位)、今井正人、それに柏原竜二と福島出身ということは何かあるのだろうか。 藤田敦史:瀬古俊彦のもつ学生記録を20年ぶりに塗り替えたランナー
佐藤敦之:学生で2時間10分を初めて切ったランナー(現在記録:藤原正和:2時間08分12秒:2003)
2010年1月5日火曜日
「鬼ころし」を飲む (四)
_
さて「鬼ころし」をいただくことになったのだが、これ紙パック。
それもストローつき。
日本酒っていうのはストローで飲んでいいものだろうか。
ビールをストローで、というのはない。
ワインをストローで、というのもない。
もちろんウイスキーをストローで、というのもない。
(もしかしたら、あるのかもしれないが、日本の事情に疎くなっているので、あるとしたらお許しを)
というのは、上の商品類には紙パック製品がないということだが。
で、日本酒だけストローで、というのは変なものだ。
日本ではビールはグラスについで飲む。
が、こちらでは瓶コーラのように、瓶ビールをガブ飲みする。
これは日本では絶対にはやらない。
でもこれは間違っているわけではない。
缶ビールはがぶ飲みするのだから、瓶ビールをがぶ飲みしても大きな差はないはずである。
つまるところは習慣に過ぎないということである。
ということは、逆にいえば日本酒をストローで飲んでも文化としては成立しうる可能性をもっているということでもある。
だが、これ習慣化されるであろうか。
上の写真のようにパックにはちゃんとハサミで切る部分に点線が印刷されている。
この部分をきって、コップに移して冷で、あるいは徳利に入れて燗でとなるのであろうが、こういうパックを買う人がポケットにハサミを入れておくわけではないから、やはりストローということになるのだろう。
ストローを差し込んで、まずチューと一息。
おお、これなかなかイケル。
さすがに「99」で売れ筋トップだけのことはある。
オツマミだが、構えたものはない。
焼海苔を数枚出してぱりパリと。
アサリの佃煮があったが、これは甘口であわない。
「パリチュー」
ストロー清酒文化。
もしかしたら日本ではやっているかも。
アルコール度は13%以上14%未満。
いつも飲んでいるカスク(箱ワイン)が9度。
1.5倍ほど強いが、一パックと決めておけば適量かも。
この地で、清酒のストローパックを飲むとは思わなかった。
お勧めの一品といいたが、決して入ってくることはあるまい。
面白半分に「清酒をストローで」で検索してみた。
あるんですね、こういうのが。
『
Hatena ::Question
http://q.hatena.ne.jp/1139666635
[問]
お酒をストローで飲むと酔いやすいという話を聞きますが、本当でしょうか?
また、 ストローや缶での飲用と悪酔いには、特に因果関係はないという話も聞きます。
本当に酔いやすいのであれば、そのメカニズムを教えて下さい。
例えば、ストローで飲むとアルコールの吸収率が高くなると聞きますが、その原因が知りたいです。
また、因果関係が無いのであれば、それを証明する資料や統計が欲しいです。
[答1]
ストローでお酒を飲むと 胃壁にまんべんなく酒が行きわたり、アルコールが吸収されやすくなります。
普通にお酒を飲めば、アルコールの一部はそのまま排出されますが、ストローで飲むとほぼ100%、アルコール分が吸収されてしまうようです。
[答2]
私はストローは関係無いと思ってます。
実際私もよく缶チューハイやビールをストローで飲むことがありますが、酔いやすくなった印象はありません。
最も大きい原因は、飲む速度でしょう。
ストローで飲むと速度が遅くなると思っている人が多いようですが、それはカクテルやサワーと比べた場合の話で、焼酎や日本 酒のようにちびちび飲むもので比べると、普通に飲むよりもストローで飲んだほうが圧倒的に速く飲んでしまいます。
少しずつ飲んだほうが酔うという話もありましたが、吸収率が多少上がっても、蓄積される量が減るので「酔い」はむしろ減るはずです。
日本酒をがぶ飲みしたほうが酔わないなんてわけがないですからね。
血流に関しては、確かにストローで飲めば微量に流れが良くなりますが、体感できるほどよいが早くなることはあり得ません。
その理論でいくと、風呂上がりに酒を飲んだらとてつもない勢いで酔うことになります。
よって、アルコール度数の高い酒に関しては、飲む速度が上がることで酔いやすくなることはあるが、大半のケースは思いこみによるプラシーボ効果ということです。
そもそも、酒っていうのはたくさん飲むために飲んでるんじゃなく、酔っぱらうために飲んでいるんですから、本当にストロー1本で酔いやすく出来るのならむしろ常にストローで飲んだほうがいいですよね。
』
この検索でトップに出てきたのはなんとなんと「国税庁」のサイトです。
福岡国税局。
揚げておきましょう。
『
平成17年度「酒モニタ-」第2回座談会
http://www.nta.go.jp/fukuoka/shiraberu/sake/sakemonitor/monitor2zadankai.htm
第2回座談会 議事要旨
1].日時 平成18年5月11日(木)15:00~17:00
2].場所 福岡国税局
3]. 出席者
(酒モニター)
1. 料理飲食業関係者、一般消費者(女性層)、情報誌関係者など 8名
(福岡国税局)
1. 福岡国税局長、課税第二部長、酒類監理官、酒税課長、主任鑑定官、筆頭酒類業調整官、酒類業調整官、派遣酒類業調整官 9名
4].内 容
新たに委嘱された「酒モニター」に対し福岡国税局長から委嘱状が交付され、当局幹部との座談会を開催しました。
座談会では、福岡国税局長が4月13日に開催した「新酒きき酒会」への参加に対してお礼を述べるとともに、「今後の酒類産業行政に生かすために、清酒の需要振興策等について、きたんのないご意見をいただきたい。」とあいさつを述べ、酒モニターの方々からは、新酒きき酒会等の感想をはじめ、次のようなテーマについて活発な意見が出されるなど、有意義な座談会となりました。
(議事要旨)
【新酒きき酒会等についての感想】
「新酒きき酒会」について
○ 広範囲の業界の方が出席されているので良い。
○ 案内状形式となっているが、雑誌等を利用した応募制も取り入れたらどうか。
○ どういう方が参加しているのか分からないので、情報交換がしにくい。
○ きき当ては難しいが、きき酒のやり方は楽しくて良い。
「地酒を楽しむ会」について
○ 今年は出品酒それぞれに、各蔵元がどういう想いで造っているかを伝えるための紹介カードが付けてあり、とても良かった。
○ 出品酒の数が多く、試飲する酒を選ぶのに困った。
○ 出品酒に関する蔵元のコメントが一覧表になったものがあれば選ぶ目安になる。
【消費者が求める清酒像】
○ 現在、メーカーが造る清酒は淡麗辛口で水のようなものの集大成となっているが、薄い酒、味のない酒造りを目指すことは消費者の欲求とは違うのではないか。
○ 飲みやすい酒が好まれる傾向にあるようだが、個人的には癖のある酒が好きである。どういう酒を好むかは消費者によって多様であると考える。
○ 清酒は「悪酔いしそうだ」というイメージがあり、いまだにしょうちゅうは「後に残らない」というイメージがある。
清酒の「良いところ」のPRの仕方、伝え方が足りない。
○ 清酒は適量であれば、血液の循環や肌に良いと言われている。
そういう点をもっとPRして欲しい。
○ 清酒という商品の持つ豊かな時間の価値を表現したPRもあり、形のない価値も含めて清酒の良い面をPRすべきである。
○ 清酒は海外で注目されていると聞くが、健康的・美的・知的・文化的なものであると消費者へ伝えることも必要。
○ 清酒の飲み方を若い人は知らない。
若い人に対して飲み方を分かりやすく、カッコいいものということをPRすべきである。
○ 女性からみれば、清酒には日本的で叙情的なところがある。
焼酎にはそういったこところがなく男の飲み物と思っていた。
清酒が特別なお酒であるということを日本人が持っている感性に訴える必要がある。
○ 清酒を提供する際の演出も考えるべき。
季節感など日本の風土・文化を飲み手に感じさせる提供の仕方を工夫することが必要。
○ 海外の日本食レストランが増加しており、そこでは質のいい清酒を出していると聞く。
料理との相性もあり、やはり、日本食には清酒が合う。
【若い人にも清酒を飲んでもらう方策等】
○ 大企業では20代の消費者を狙うなら20代の社員に企画させているため、うまくいっているようである。
若い人を集めて清酒の頒布会を行ったが、ワイングラスに清酒を注ぐという演出がよかった。
○ 50代は口を出さずに、若手の意見を取り入れたプランがヒットした話がある。
若い人の気持ちをつかむには伝統や既存にとらわれないことも必要。
○ 女性や若い人に好まれるような、デザインの異なるカップ清酒の詰め合わせを限定で販売するなど、消費者が欲しくなるような仕掛けが必要。
○ 飲食店でデートのときに2人で飲みきれるような清酒のボトルの仕掛けも必要で、若い人には演出が大事。
○ 清酒のワンショットが200円から300円で飲むことができる地酒のアンテナショップもあるが、通常、飲食店では600円から800円の価格になってしまい、高いと感じる。
○ チェイサーみたいな和らぎ水の提案も必要。
カフェで手軽に飲めるワンカップ清酒やストローで飲める清酒、ワイングラスで出す清酒も良いと思う。
ネット上での展開によるPR販促も必要。
○ スパークリング清酒は甘すぎて料理に合わなかったが、スパークリング清酒を材料にシャーベットを作ったら美味しかった例もある。
』
まじめ過ぎて、酔いがさめてしまうかも。
さっきからタイプを打ちながら飲んでいるが、なかなか減らない。
さかずきだとごくりと飲んでしまうが、ストローだと口を潤す程度にしか飲まない。
潤す程度でも口の中にフワーと広がる。
快感。
おちょこで飲むと、口の下側に入る。
それが清酒の味。
が、ストローで飲むと、上側に噴射する。
上アゴの内側が刺激されるのだ。
ここに清酒の味点があるとしたら、眠っていた味が引き出される、ということになる。
これ、いいのか、わるいのか。
< おわり >
● 花いろいろ
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