2009年12月31日木曜日

「鬼ころし」を飲む (三)

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 小包に入っていたのが下の手紙。
 これは頭の部分をスキャンしたもの。
 読みにくいかもしれませんので、タイプしてみます。


 ご隠居さんへ
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  いかがお過ごしですか?
 今年もあますところ数十日となりました。
 こちらは暖冬といわれながらも、12月らしい寒い日が始まりました。
 いつものようにささやかながら、日本の食べ物を送ります。




 内容的にはいいのだ。
 だが、最初がいけない。
 「ご隠居さん
 こういう表現はあってはならない。
 いつも言っているのだ、「ご隠居さま」と言うようにと。
 だいたい助さん格さんは「ご隠居」と呼ぶが、他の人たちは「ご隠居様」という。
 「ご隠居さん」というのはない。
 この表現は落語で、職人が仕事をするときに、小うるさい老人に対して放つ言葉だ。
 「ご隠居さん、そいつはマズイヤ」てな具合。
 これはこれでいい。
 職人は己が技量に絶対の自信をもっており、その部分では注文主と対等だと思っている。

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<あらー、年を越えるかも>

 この小包のなかに4枚のDVDが入っていた。
 横浜国際女子マラソン
 福岡国際マラソン
 全日本大学駅伝 前半
 全日本大学駅伝 後半
 
 なにしろ忙しい年末で、とてもビデオなど見ている暇がなかった。
 これを書き始めたら、横から次々と入り込んできた。
 ために21日に書き始めたこのサイトは<編集中>にしてそちらの主力を移すことになった。
 というのは、そちらは今年末で終了という期限が迫っていたためのである。
 よってそれを書き終えるために、大半の時間を注ぎ込んでしまったので、とてもビデオなど見る余裕などなかったわけである。
 でもなんとか、終えた。
 残りはこれ一本。
 となると無性にビデオがみたくなった。
 福岡マラソンをみた。
 ビデオだが、最後に2時間5分20秒の自己新記録を出せるか出せないかというラスト100mにテレビの前で声援を送ってしまい、5分18秒で新記録となったときは拍手してしまった。
 0時05分。
 今の時間はお正月である。
 ボンボンボンと花火の打ち上げる音が聞こえる。
 ニューイヤー・ファイアー:新年祝賀花火である。
 でも、今日はくもり空、音だけ聞こえる。
 昨年はテラスから見る、テーマパークの花火をすぐに送ることができたが、今年は音だけしか届いてこない。

 「新年、あけましておめでとうごいます」
 
 何ともさみしい、お正月である。
 でも、この年末は書いて書いて書きまくった年末になり、ひさしぶりの忙しい日々を過ごした。
 
 ついでに掃除機を壊してしまったが。
 そういえば数年前、年末に洗濯機が壊れたことがあった。
 修理屋を呼んだら、新しいのを買ったほうがいいと言われてしまった。
 まさか、手洗い洗濯で過ごすわけにはいかない。
 クリスマス後であったが、電気ショップにいって新しい洗濯機を買った。
 これ、30日に届いた。
 なんとかこれで年越しができた。
 今度は29日に掃除機が壊れた。
 この6月に買ったばかりの新品である。
 ここの製品は信用しないが、ここまで早く壊れるとは思わなかった。
 韓国製なら3年は安心して使える。
 サムソンの液晶デイスプレイは4年目で壊れた。
 まあ、そんなものだろう。
 日本から送ってもらった台湾製のデイスプレイは6年でいまだ健在である。
 仕様が異なるのではないかと思う。
 日本国内販売のものと、海外向けのものとでは、まるで信用度が違う。
 やはり、こういうときは日本人のすばらしさを身にしみて感じてしまう。
 このくそ忙しいのに掃除機の交換に出かけるヒマなどない。
 これ幸いと、掃除はやめてしまった。
 汚い衣服では正月は迎えられないが、掃除機をかけなくてもカーペットとタイルの住居ならヨゴレを意識せずともやっていかれる。
 てなぐあいで、正月になってしまった。
 12時20分。
 もう寝ることにしよう。
 あとは、明日?。
 ついに年越しになってしまった。


 今日は元旦。
 改めて「新年おめでとうございます」。
 日本にいれば、上州下ろしの空っ風、「実業団駅伝」となるのだが。
 それに代わって「横浜女子マラソン」
 行われたのは去年の11月のこと。
 東京女子マラソンの廃止に伴う後継マラソン。
 よって、今回が初回。
 初代女王は誰に。
 東京マラソンの初代女王はイギリスのスミス夫人であった。


●  一緒に入っていた新聞の切り抜き
 
 明日は箱根往路。
 代わりに全日本大学'駅伝前半を。
 明後日は箱根の復路のつもりで後半を楽しもう。
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 もうお正月も二日になってしまった。
 話を戻そう。

 家のものに「ご隠居さん」なんていわれると、バカにされているような気がしてくる。
 おそらく、バカにしているのだろうが。
 だいたい、どこの家でも老人はバカにされている。
 尊敬される老人などいない。
 確かに、自分がみていてもまわりには尊敬に値する老人などいない、と思えるからしかたがないのだが。
 とくに「老いてますます*****」なんてからみの本を書いている人に、ロクな人はいない
 まるで私と同じくらいにダメな人種である。
 まあ「老人力」とやらで己がむなしさを揶揄っているのが、一番似合うというところであろう。

 とはいえ「ご隠居さまか、ご老人と言え」と口をすっぱくしているのだ。
 でも呼んでくれない。
 飛んでくる呼び名は「ジジー」か、さもなければ「ジーさん」。
 無視すればいいのだ、と思っているが、
 「ジーさん」
 と呼ばれると、つい
 「おー」
 と返事してしまう。
 これがいけないのだ。
 どうも反応が、身体に染みついてしまっているようだ。



 ご隠居さまと「鬼ころし」となると、「隠居ころし」ということになる。
 「ババゴロシ」はあっても「隠居ころし」はない。
 そういうお酒もないし、ウリもない。
 もちろん「隠居殺し」ならある。
 ときどき三面記事に載っている。
 本当に殺されてしまうのでちょっと危険。
  
 イメージする「隠居ころし」は寒天ゼリーか。
 でも調べてみたら、寒天ゼリーよりもオモチの方が数倍ヤバイらしい。
 としたら「おもち」。
 でも今はお正月。
 これはパス。
 モノはやめよう。
 「鬼ころし」は実際に鬼をころすわけではない。
 鬼がメロメロになり、腑抜けになるということ。
 では隠居モードではどうなるだろう。
 
 「これだ!」
 というのがあります。
 
野原銀の介
 野原信之介の秋田のおじいちゃん。



 この秋田のおじいちゃんがメロメロになり腑抜けになってしまうもの。
 誰もがご存知ですね。
 「ピチピチ、ギャル
 しんのすけと一緒に美人のお姉さんについっていったら、なんとなんと女子大であった。
 そこでウキウキのりにのった銀の介は、ギャルを相手に講義をぶちかました。
 というのがありましたね。
 そういえば、「フーテンの寅さん」にも同じようなのがあった。
 寅さんがあれは早稲田大学だと思うが、「青年諸君!」と講義をする。
 その時間を受け持っていたのがいつもにこにこ三国一郎教授というストーリー。

 ちなみに九州のおじいちゃんもいる。
 でも昔、中学の教頭先生を務めたほどの、品行方正な堅物。
 この人からは「隠居コロシ」のイメージは浮かばない。

鬼ころしはお酒
 ババゴロシはウリ
 隠居ころしはピチピチギャル
 
 といったところだろうか。


 < (四)へ >




● 花いろいろ

「鬼ころし」を飲む (二)

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 送ってくれたのは写真の「万楽 鬼ころし 清酒200ml」紙パック1ケ。
 製造元は「清洲桜醸造」。
 
 ここで出しているのが「信長 鬼ころし」。
 これ、昔飲んでいたヤツ。
 100ケもあればどこの鬼ころしか覚えていないのがふつう。
 でもこれは覚えていた。
 というのは「信長」という個人名称が入っていたからだ。
 「信長」と「鬼ころし」のネーミングは合う。
 「鬼より怖い信長」、そんなイメージがある。
 なにしろ、天皇でも手の出せない比叡山を焼き打ちにして、グータラ坊主をきれいに一掃してしまったというコワモテ。
 「鬼殺し」くらいは、即座にやってのけそうな人物。
 それがネーミングされていれば忘れようにも忘れない。

 インターネットで検索していたら、ユーチューブに「清洲城 信長 鬼ころし」のCMソングが載っていた。
 ちょっと、コワモテとは落差が大きいが。

You Tube (ビデオ)
CM 清洲桜醸造 相葉カオル 鬼ころし 飲み友達は妻
http://www.youtube.com/watch?v=qBnkIIR5QeA
http://www.youtube.com/watch?v=vrdchlUY8Kg


 ついでに清洲桜醸造を県のあいちまNAVIから紹介しておこう。

あいちまNAVI  清洲桜醸造
http://www.aichima.net/navi/sake/kiyosu/index.html



 では「万楽 鬼ころし」というと、
これがない
 この会社で出している日本酒一覧を見てみた。

清洲桜醸造 日本酒一覧
http://mognavi.jp/store/17633

 やはり、ない。
 写真のようにパックには「清洲桜醸造」と明瞭に印刷されている。
 会社を間違えるわけはない。

 ならズバリそのもの、「万楽 鬼ころし」という」キーワードで調べてみた。
 2つ出てきた。
 言い換えると、たった2つしか出てこない。
 なんという情けなさ。

 その1つ

SHOP99
http://www.shop99.co.jp/fan/index.html
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売れ筋ランキング! 「99円(税込\104)」のお酒

 1位 清洲桜醸造 万楽鬼ころし (200ml) \99(税込\104)
 2位 福徳長酒類 博多の華   (200ml) \99(税込\104)
 3位 オリジナルブランド すぅーっとおいしい清酒 (180ml) \99(税込\104)
 4位 木村飲料 麦焼酎水割   (250ml) \99(税込\104)
 5位 清洲桜醸造 楽園梅酒   (180ml) \99(税込\104)



 おおなんと!、このお酒、コンビニ専用の100円パックだったのである。
 清洲桜醸造はこういうセコイ商品は製品リストに入れない、ということか。
 でも、ちゃんと「楽園梅酒」は上の一覧の中に入っている。
 上の写真はそこからコピーしたもの。
 とりあえず「99」であっても、売れ筋No.1なのに紹介がないとは、どういうことだろう。

 2つ目はこのサイト。

掃除機庵主人
http://shojiki496.blogspot.com/2009/01/blog-post_30.html

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 武蔵之国一之宮 鬼ころし
 黒田藩正宗 鬼ころし
 富久娘 赤顔の鬼ころし
 万楽 鬼ころし

 いい加減につけたとしか思えないネーミングがちらほらと見かけるな。


 なんとここには約80ばかりの「鬼ころし」のリストが載っている。
 この最後に、かろうじてその名を止めているのが「万楽 鬼ころし」。

 とりあえず、「99」でしか売っていないようなお酒を、たいまいな航空郵便料金を払って海外に送ってきたということである。
 あまりの幸せに涙も出ない。
 水も枯れてしまった?


 通常ならここで次へといくのだが、そうもいかない面白いものに出会った。
 佐藤愛子著 「ウララ町のうららかな日」。


● 昭和63年2月

 小村徳太郎は小村トメの息子である。
 生まれた月日はわからない。
 生まれた場所はウララ郡ウララ町チキシャブのオニゴロシの浜だという。
 しかし「オニゴロシの浜」 は、ウララ町の地図を探してもどこにもない。
 古老に訊いても「知らね」という。
 「ウララ町にはババゴロシという地名はあるが、オニゴロシというのは聞いたことねえ」と古老はいう。
 オニゴロシはババゴロシの間違いではないかという人もいる。
 ババゴロシはウララ町から北東のニシュウチヤへ向かう山の中である。
 昔、出稼ぎに出た息子の後を、息子恋しさにの一念で追っていった老婆が、山道に迷って谷底に墜死した、その場所をババゴロシというのだ。
 徳太郎はチキシャブのオニゴロシの浜の、ドングリの葉陰で生まれたといわれている。
 この地方ではイタドリのことをドングリという。
 そのイタドリの葉の重なりの陰で、徳太郎は生まれたという。
 たまたま昆布拾いに海岸へ来た老婆が赤子を産んでいるトメを見つけ、そのへんに転がっていた欠茶碗を拾って臍の緒を切り、イタドリの葉っぱに包んで渚へいって、海の水で洗った。
 それから自分の腰巻を外し、それで赤子を包んで連れて帰った----。
 それが徳太郎の誕生について知られているすべてである。
 徳太郎という名は誰がつけたのか、わからない。
 その老婆もどこの誰か、わからない。
 徳太郎がどんな子どもであったか知っている人は誰もいない。


 小説の没頭に出てくる一節である。
 どう考えたって「うららかな日」の書き出しには相応しくないと思うが。
 この程度で「ビクツイチャ、あかん」というのが佐藤愛子特有のスタンスなんだろう。
 でもなんで、この時期に読んでいる小説に「オニゴロシ」が出てくるのか、ちょっと不気味。
 さらに「ババゴロシ」なるものも出てくる。
 オニゴロシの対にババゴロシがあるとはまるで気がつかなかった。

 「オニゴロシ」は聞いたことあると思いますが、「ババゴロシ」はどうですか。
 わたしははじめてでした。
 ところで「ババゴロシ」っていうのはあるのでしょうか?

 これが、
あるのです。
 調べてみたら、本当にあるのです。
 事実は小説より奇なり、です。
 紹介しておきましょう。


ようていメロンのページ
http://www.mitizukanouen.com/meron1.html

メロンの来た道(農文協)
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 メロンには実に沢山の仲間がある。
 しかも古代から栽培されていて、雑草メロンと呼ばれる野生種も世界各地に生えていることから、もともとどのあたりが原産地なのか、よくわかっていない。
 それでもアフリカと中近東と中国の3カ国が原産地と考えられている。
 ヨーロッパのネットメロンの原産地はアフリカと考えられている。
 マクワウリなどネットのないものの原産地は中国と考えられている。
 いまでは、暑すぎたり寒すぎたりしない国でなら、どこでも。
 さまざまなメロンの仲間が作られている。


日本在来のメロンの仲間(農文協)
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 日本にメロンの仲間がやってきたのは、弥生時代や古墳時代に朝鮮半島や南方からと考えられている。
 インドからは[ババゴロシ]と言う名のメロンがやってきて、いまでも福江島や八丈島で作られている。
 これは熟すと粉々になって、これを食べたおばあさんがノドを詰まらせたのでこんな名前がついたらしい。
 また瀬戸内海の島々には雑草のような野生のメロンが生えていて、ボンテンウリ(梵天ウリ)、オショロ(お精霊)など仏教に関係した名前が付けられている。
 江戸時代から子供のおもちゃにもされている小型のメロン(コヒメウリ)は、いまでも新潟の新津や村上などでお盆の仏壇の飾り用に栽培されている。


 ババゴロシとはメロンの名前だったのである。
 形状は楕円形で皮は緑でスイカのような黒い縞があるそうである。
 世の中は不思議だらけである。

 写真がありました!


夏:ウリとひょうたん
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index67/index.html

主催: 国立歴史民俗博物館
開催期間: 2002年7月23日(火)~9月29日(日)
開催場所: 国立歴史民俗博物館くらしの植物苑
入苑料: 通常入苑料に含みます。

平安の都人が食べたといわれるモモルディカメロン
(八丈島ではババゴロシと言われています)






 < (三)へ >





● 花いろいろ





◇].
 さらに大きな写真がありました。

ももるでぃかめろん
http://ken.anyuser.ne.jp/flowermomorudhikameron.html

モモルディカメロン [うり科]
学名:Cucumis melo var. momordica

 ウリ科キュウリ属の蔓性一年草。
 平安時代を中心に貴族社会で普及したが、その後絶え、現在は東京都八丈島と長崎県福江島で栽培されている。  
 一見スイカのようにもみえるが甘味はあまりない。
 果実は水分が少なく、果皮は皮をめくるように剥がれる。果実が粉質でのどをつまらせることからとくに八丈島ではババゴロシといわれている。

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 撮影 2003.7.20 くらしの植物苑




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2009年12月21日月曜日

「鬼ころし」を飲む (一)

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 郵便postに入っていたのが下記の紙。
 「小包が届いています。郵便局に取りにきてくだい」というお知らせ。
 ランナバウトを一つ越え、ゆるい坂を上り、そして下った交差点の角に郵便局がある。
 12,13分ほど。





 ID証明として免許証を見せて、サインをして貰ってくる。
 重量2.7kg、送料¥5,400。
 中身はほとんどお菓子の食品類。
 金銭的にはなんとももったいない。
 こちらでもそれだけのお金をだせば、日本食料品店で倍買ってもおつりがくる。
 昔の世界ではない。
 地球は狭くなった。
 ゴムぞうりで飛行機に乗り、機内食は不味すぎると持参のおにぎりで食事する時代。
 日本品など、山のようにあふれている。

 まあ、日本に住む人の心理的負担の軽減処置。
 いつものように、検閲で開けられた。
 下が「開けました」という書類。



 抜かれると、何を抜いたかそのリストを書いた用紙が入っているが、今回はない。
 最近は検閲にかかる食品がわかってきているので、最初から入れてこない。

 さて、一緒に入っていたのが、このお酒。
 「万楽 鬼ころし
 ついつい、笑いが出てしまう。

 はるかな昔のこと。
 シニアカードなどもらうようになったら、話題ははるかな昔のことしかない。
 そこがシニアの悲しいところ。
 還暦を過ぎたら、
「ない若さを誇るようなみっともないことはしないように」
 と心に決めているが、でも時々出てくる。
 そういうことは、実生活ではおさえて、こういう誰も読んでくれそうにないシステムの中でウサバラシするのが健康的。
 決して人前にしゃしゃり出たり、意見を述べたりすることは控えて、若い人のやることに納得していくようにつとめているのが正しい生き方。
 「老いて*****」なんてのは具の骨頂。
 みっともなくも、恥ずかしい。
 といいながら、この穴倉で「王様の耳はロバのミミ」とやっている。

 はるか昔の若い頃、小さな息子と娘をつれて夜になるとお酒を買いにいった。
 それぞれに百円玉を渡し(100円と50円玉だったかもしれない)、お手てつないで、近くの酒屋へ。
 娘がコインをいれるのだが投入口に届かない。
 だっこしてやる。
 息子はお酒の出てくる下の口に手を入れて待っている。
 ときどき手を入れすぎて抜けなくなる。
 娘がコインを2つ入れると、ガチャガチャガタ-ンと出てくる。
 「デター!」
 娘はすぐにおつりの出てくるところで待つ。
 チャリリリリーン。
 10円玉が2つ出てくる。
 息子と娘に10円玉を1個づつやり、わたしはお酒を持って、なんとなく気分よく、家へ帰ってくる。
 このころはやったのが「ワンカップ大関」
 でも出てきたのは「ワンカップ松竹梅」
 どういうわけか日本酒はときどき売れ切れになる。
 「売れ切れだって、帰ろうか」
 「ダメ!」
 子どもはコイン投入とガチャガチャガッターンが面白くてついてくる。
 しかたがないので、隣の缶ビールのボックスにいく。
 ビールは売れ切れたことがない。
 なのに日本酒は4日も5日も補充されない。
 酒屋の陰謀だろうか。

 郊外に引っ越してからは、駅前で買って帰るので、子どもたちと酒屋にいくことはなくなった。
 というよりも、酒屋がえらく遠くなった。
 歩いてはいけなくなった。
 自転車が必要になった。
 よって駅前で買って帰ることになった。
 ここでよく買ったのが、「鬼ころし」。
 箱の酒で一番安いのがこのお酒だった。
 あるとき都合で別の酒屋に入って鬼ころしを買った。
 が、この鬼ころし、いつもの鬼ごろしと違う。
 違うが、でも「鬼ころし」には違いない。
 それに高い。
 見てみたら製造元も違う。
 大関も松竹梅も一社からのみ販売されている。
 あたりまえのことだ。
 ではこの「鬼ころし」っていうのはどうなっているのだろう。

 その後、酒屋に入ると鬼ころしに目がいくようになってしまた。
 少し遠くに倉庫みたいなところでやっている酒屋のデイスカウントショップができた。
 箱の酒の棚に数社の鬼ごろしが並んでいた。
 「鬼ころし」って誰が使ってもいい商標のようである。
 でも、そんなことあっていいものだろうか。
 一抹の疑問もあったが、でもいいらしい、と納得させた。
 ス-パードライをキリンビールで発売するはずがないのであるが。
 
 今回、「鬼ころし」が送られてきたのでちょっと調べてみた。
 こういうとき、インターネットは便利である。
 たちまち日ごろの疑問が氷解する。

 最初に飛び込んできたのはこの記事。

日本酒「鬼ころし」 教えて!goo
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa82426.html

[問]
 「鬼ころし」と名のつく日本酒は多数ありますが、これはライセンス生産をしているということなのでしょうか?
 それともただパクっただけ?
 本家本元の「鬼ころし」はどれなのでしょうか?



 この答えがいろいろイケている。

[答.1]
 余談ですが、私自身、夏場のビールの一口目を飲んだときなど「クァ~、ちくしょう!殺される~っ!」と口走っ てしまうことがありますので、「鬼ころし」というネーミングは大好きです。
 今まで、単純に「鬼を殺す」ほど美味くて、酔わせてしまう酒(ヤマタノオロチの 話みたいなかんじ)かなあなどと思っておりましたので「鬼ころし」侮り難しと思っていました。
 しかし、さらに上を行くネーミングのお酒があります(焼酎だったかもしれませんが)その名も
 「鬼おどし
 ・・・・仮に鬼がいたとして、殺すことは出来たとしても、脅すのは無理だ・・・

[答.2]
 
10年ほど前に、酒問屋に勤めていたときに聞いた話ですが、「鬼ごろし」という商品名は、商標登録されていないみたいです。
 なぜかというと、元々その名称で販売していた酒蔵が、商標登録をしていなかったために、日本中にその名称が広がり、一つの酒蔵のみが、「鬼ごろし」の名称を独占することができなくなったそうです。
 「鬼ごろし」という言葉の意味は、鬼をも(酔い)殺すほどのうまい酒という意味だそうです。
 本家本元の「鬼ごろし」ですが、「飛騨の鬼ごろし」(酒蔵名は忘れましたが岐阜県です)だと聞いたことがあります。


[答.3]
 鬼ころし、とは鬼をも殺すような悪酒、つまり、まずい酒の代名詞として使われていたようです。
 で、ある蔵元が逆手をとって、これを酒の銘柄に使ったら、大評判。
 それにあやかる蔵が続出・・・という図式かと思います。
 ライセンスとか、系列とかは一切関係ないと思われます。
 まあ、ぱくりと言えばぱくりかもしれませんが、業界人なら誰でも知っているフレーズだったのでしょう。
 今では、辛口の酒の代名詞のように使われていますね。


 「鬼ごろし」が強い酒の代名詞であることは分かったが、
 
 うまい酒なのかまずい酒なのか?
 このところがいまいちはっきりしない。
 どちらでも解釈できることは確かではあるが。
 登録商標されていないので、誰が使ってもいいようである。
 こういうのは、とてつもなくメズラシイように思えるのだが。


 さて、鬼ころしの本家は岐阜県飛騨高山の老田酒造店のようである。
 その、インタビュー記事を。

長年の疑問、なぜ“鬼ころし”というネーミングなのか!?
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091160010210.html

 「なぜ鬼ころしは“鬼ころし”なのか?」。
 恐怖のネーミング酒「鬼ころし」だが、やたらと酒屋で見る。
 疑問を晴らすべくお話を伺ったのは岐阜県の「老田酒造店」さん。
 こちらは創業が江戸享保年間(1720年代)という由緒正しき老舗酒蔵。
 果たしてそのネーミングの謎とは?

 「なぜ、“鬼ころし”という名前なのですか?」
 もともと「鬼ころし」というのは辛口な日本酒の代名詞で「鬼をも殺す程、“辛い”」というたとえから生まれた名前です。
 だから、当社だけではなく様々な会社さんが作っていますよ。
 広辞苑など辞書を見ると、辛口で雑味が多くあまり良くないお酒と説明されていますが、それは甘口全盛の時代に出来たイメージ。
 一時期は、その「イメージ」と「殺す」という言葉の過激さから、全国の酒屋さんから減ってしまいました。

 「今は全国で、どれぐらいの“鬼ころし”があるんでしょうか?」
 “鬼ころし”や“鬼ごろし”で若干名前の違いはあると思いますが、
全国で100ぐらいはあると思いますよ。
 だけど、おそらく当社が“鬼ころし”を作った最初の蔵だと思います。


 「鬼ごろし」は100ある!
 イヤハヤ!
 100もあれば、不味いのもあるし、美味いのもある。
 安いのもあれば、高いのもあるわけである。
 だが、絶対に「ない」ものが一つある。

 「
甘口 鬼ころし



 
 < (二) へ >
 



● 花いろいろ


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2009年12月10日木曜日

「おくりびと」

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【2009年11月25日水曜日 チケットを買いに行く 】


● 「おくりびと:Departures」


 月刊の日本語新聞に「おくりびと」が上映されるという大きな記事が出ていた。
 来月の10日から24日までの2週間。
 ということは半月後になる。
 さっそく、前売り券を買いにいった。
 でも売っていなかった。
 当日買ってください、とのこと。


 場所はアートセンター。
 日本風にいうと市役所に併設された文化センター劇場といったところ。
 以前にここで見た映画は「千と千尋の神隠し」であった。
 が、このアニメ、その前に映画館で上映されていた。
 ムスメが新聞を見ていて、
 「千と千尋、やってるよ」
 と言う。
 英文タイトルなので分からなかった。
 もちろん「Sen & Chihiro」ではない。
 そりゃ、見逃してはならない。
 すぐに、その映画館に出かけていった。
 が、らしいポスターが一枚もない。
 確か映画祭のアニメ部門で賞をもらっており、そこそこ有名になっていた映画である。
 なんで、だろう。
 ムスメに「本当にやっているのか」
 ムスメいわく、「大丈夫だよ」

 チケットを買う。
 ムスメが一瞬驚いたように振り向く。
 そしてプラスチック板の向こうの係とおしゃべりをはじめた。
 やはりこれはやっていないようだなと一瞬思う。
 が、チケットを手にしてきた。
 「やってたか」
 「やってるよ」
 「確認したのか」
 「声をかけられたんだ。カウンターの人、ハイスクールの同級生だった子だよ」

 ガラガラ。
 ウイークデイの3日間だけ。
 それも午前と午後の各1回。
 合計6回の上映。
 肝心の夕方から夜にかけては、別の映画。
 ちょうどその時期はサマーホリデー中。
 子どもがはいるであろう週末は別の映画。
 つまり、「千と千尋」はウイークデイの時間つなぎの映画だったのである。
 この国に知性を求めてもせんないことだが、アニメくらいはわかるだろう。
 ましてこの映画、英語版である。
 ここではアニメはダメなのだろうか。
 でも、以前ブリスベンでやった「ジャパニメ」は満員でチケットを前もって手に入れていたからよかったものの、そうでなかったら見れなかった。
 ただ、このときは夜の部のみでしかなかったが。
 ちなみに、このときの観客は学生といった人種が大半であった。

 その「千と千尋」が商業上映から数カ月後に、このアートセンターで上映された。
 やはり2週間くらいではなかったかと思う。
 見にいった。
 やはり、がらがら。
 これはしかたがない。
 なにしろ、ヒマな老人のこと、出かけるのはウイークデイの昼間である。
 一般人は働いているか、学校へ行っている。
 なにも前売りチケットなど買うこともないということである。
 よって、売っていない、ということになるらしい。


 まあ、当日いけば入れるということだろう。
 あせって行った、私が無知であったというか、学習機能がボケたかである。
 行ったついでなので、パンフレットをもらってきた。
 この1枚だけ。
 他の映画は壁にポスターが貼ってあるが、そんなもの一切なし。
 「千と千尋」のときもそうだった。
 アカデミー賞受賞などは屁の役にも立たないようである。
 見たい人は勝手に調べてやって来なさいということ。
 日本の映画などは、ついででやるだけです、といったところだろうか。
 ペラペラなビラですが、せっかくですのでコピーしておきます。


 ところで、この英文タイトル「DEPARTURES」ですが、これ「往く人」であり「送る人」ではないようにおもえるのだが。



● 花いろいろ



[◆].
 日豪プレス[2010年01月号]から。





【2009年12月10日木曜日 「おくりびと」】


 「おくりびと」を見にいってきた。
 今日から2週間。
 最初の11:40開演に出かけていった。
 もちろん、シニアカードを持って。
 普通なら「13ドル50セント」。
 老人カードの威力で「9ドル」。
 「33%off」となった。
 初めてこれを使った。



 予約を受け付けないわけである。
 入場者、25人か26人か、そんな程度。
 日本人は女性の4人組、御夫婦、それに私の計7名。
 平日の昼間ではそうなるだろう。
 ちなみに、映画は日に4本開演され、頭の3回は「おくりびと」、最後の一番入場を見込める夜の部は別の作品。
 そんなもんだよ。

 この映画、泣ける。
 数回、涙を流した。
 それに映像がいい。
 実に詩的だ。
 これが日本!、といった感じ。
 クリアーでゴテゴテしさがない。

 いい映画だ。
 が、である。
 最後、エンデイングがいけない。

 主人公が子どものとき、父親は女と姿を消した。
 よって主人公は父親の顔を知らない。
 その父親が死んだという報が入り駆けつける。
 死んだ父親の顔を見ても、それが父親かどうかわからない。
 そして納棺を行う。
 遺体を処置しようとしたとき、しっかりと握った手を開いていくと、小さいとき主人公が父親に預けた石文がころげおちる。
 父親は、これを握り締めながら死へ旅立ったということである。
 この衝撃により、死化粧を施していく主人公の脳裏に小さい頃の父親の顔の記憶が蘇ってくる。
 その記憶の顔をもとに死化粧を進めていく。


 理屈でいくとこれでいい。

 だがこれでは、最後はありふれた小説にあるような作り話の三文小説親子愛物語になってしまう。
 父親が石文を握っていたことで、父親が発信者となった親子物語となってしまっている。
 映画はこれまで、主人公が発信者であり、そこからの印象がストーリーを作ってきたはずである。
 主人公が納棺師という特殊な職業につくことで、研ぎ澄まされてグイグイと引っ張ってきたはずである。
 ところが、エンデイングでゴロンとひっくり返って、ごく当たり前のどこにでもある子ども風の受信者にすり替わって終わってしまっている。
 何とも後味がスッキリしない。
 納棺師の意味もないし、おくりびとの意味もはっきりしない。
 精神分析よる記憶回復物語と大差ない。

 もし、ストーリーを作るとしたらこうなるだろうか。

 手から転げ落ちた石文を見ても、やはり父親の顔は浮かばない。
 ぼやけたままである。
 化粧が進まない。
 何を元にして遺族(この場合、主人公本人になるのだが)の納得できる顔を作ることができるのか。
 残っているのは父と子という血のつながりだけである。
 そして死化粧を終える。
 そこで作られたもの、出来上がったもの、それが主人公にとっての唯一の父親の顔であり、それ以外に有り得ないものであった。
 このとき、初めて主人公は父親の顔を見、そして知ったことになる。
 「オレはおやじの顔を作った。
 おやじは、オレの作った顔で旅立った

 のだと。
 これではじめて「納棺師」となり、「おくりびと」になるはずである。
 違うだろうか。

 ただし、こういうストーリーを作ると世界で賞はもらえない。
 アングロサクソン&ローマンというのは、神と契約を交わした民族。
 人と人との関係が希薄。
 神との関係を人間に移し変え、感情を契約と役割で補強した民族。
 人を自然生物の一種類とみるか、神が作りし種類とみるかでスタンスががらりと変わる。
 愛を神聖なるものとして、常に神を通して評価し認められた形の愛しかもてない。
 「こうあるべきである」、という愛しか知らない。
 よって常に人としての愛に飢えている。 常に「愛の飢餓状態」にある民族といって差し支えない。
 ストーリーは過剰に男女の愛が、そして親子の愛が強調されていないと受けない。
 いつも、契約とは裏腹にくっついたりひっついたりしている民族。
 己が間違いを映画の中で晴らそうと躍起になっている民族。
 それに感動することによって、自分を浄罪しようとしている民族。
 世界で賞をもらうには、そういう民族人種の精神にフィットするように作り変えねばならない。
 その分、わざとらしさが画面を覆ってしまう。

 この映画、最後の部分をのぞけば、そのわざとらしさがなく、ひじょうにいい映画だ。
 泣ける。
 日本版と世界版の2つ作ってくれたらなと思ってしまう。

● 花いろいろ




[◆].
 日豪プレス[2010年01月号]から。




作詞 ― 「おくりびと」
 作詞は意外と“書くぞ”と思って書く方なんです。
 いい景色とかを見て、“あ、今いい歌詞が頭に浮かんだから書き留めておかなきゃ”みたいな感じではあんまりないんですよね。
 私の場合はだいたいラーララー♪と鼻歌でメロディーを作って、トラックっていうのをもらうんですけど、それに合わせて詩を書きます。
 「おくりびと」の場合は、まず先に映画があって、そのストーリーがあって、さらにメロディーも自分のじゃない。
 映画もいいし、音楽もいいし、あとは歌詞なんだけどどうする ? と、最後の責任を振られた感じがして、ものすごいプレッシャーでした。
 しかも久石さんの曲をメチャメチャにしたら、それこそ“ヤバイ”みたいな。
 今回映画祭で久しぶりに歌うので、今朝、空港からホテルに向かう車の中で聞いてきたんですよ。
 我ながら“いい歌詞だなぁ”と思いました。


★ 「おくりびと」主題歌
http://www.dailymotion.com/video/x6rzzf_ai-tv-live_music